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コラム いくら千年前の「紙」が、当時の最先端の工業製品だからといって、日本を守護している「神」と同じ発音を当てることはなかったのではないか

 今回は日本語の中でも、ちょっと、これはどう考えてみても語源的、あるいは発音的にかなりおかしいのではないかと思われる言葉のうち、特に代表的な五つの言葉について、少し述べてみたいと思います。

 

1、いくら千年以上前の「紙」が、当時の最先端の高級品だからといって、単なる記録媒体の「紙」に当時の日本を守護している「神(かみ)」と同じ呼び方を付けるなんて、昔のこの国の支配者は、本当に最低の愚か者だったとしか全く言いようがないのではないか

 まず第一には、これは日本語を話していれば、誰でも一度は必ず疑問に思った不思議な言葉なのではないかと私は思うのですが、日本語だと英語で「God」や「キリスト」を表す「神(かみ)」という呼び方を流用して、いわゆる英語で「Paper」を表す「紙(かみ)」という言葉にそのまま同じ発音で当てているのですが、これは私はどう考えてみても、そうした実物の紙や、そうした紙を表す言葉が中国や朝鮮から日本に入ってきた段階で、普通まともな為政者であれば、絶対に呼び方を変えるはずだったにも関わらず、変えなかったという点でかなり怪しいのではないか、というように率直に感じております(現在の中国語の「神」は、日本語の「神」とはかなりイメージが異なるらしいのですが、「神(Shén)」と「紙(Zhǐ)」は全然違う発音になっています)。

 それというのは、これは外国の人に直接聞いてみれば、誰でも分かるような話なのではないかと私は思うのですが、一体どこにいくら当時の「紙」が最先端の外国製品だからって、単なる実用品の「紙」に、自分の国の「神」(常に自分の国や家族の守護や、いざという時に助けを求める存在のこと)と同じ発音を当てて、「ゴッド」とか、「キリスト」とか、「アッラー」みたいな呼び方をする馬鹿がいるのかと、本当に私は心の底から、いぶかりたくなるからです。

 それと同じように「神(かみ)」と「上(かみ、うえ)」の発音が同じなのも、かなり怪しいと思われます。

 「神」と「上」は、日本では発音ばかりでなく、何となく意味も混同されやすいのですが、同じ概念ではありません。なぜなら、いつも上に神がいるとは限らないからです(当たり前ですよね)。

 さらには、これと似た形のものに「仏(ぶつ)」と「物(ぶつ)」が同じ発音になっているのも、私にはとても不思議に感じます(現代中国語だと「仏(Fú)」と「物(wù)」では、違う発音になっています)。

 つまり昔の日本は、言霊崇拝の国だったと言われているのに、「神」と「紙」の発音が一緒で、「仏」と「物」の発音が一緒なんて、言ってみれば、言葉はきついですが、究極の悪魔主義の国だったみたいに感じられるということなのです。

 

2、いくら昔の日本が、ほとんど「もののけ」崇拝のアニミズムの国だからって、生きている「者」と生きていない「物」の違いも分からないくらい混乱していたとは、単純には信じられない

 第二には、いわゆる「物(もの)」という言葉になるのですが、日本語だと、この「もの」というのが、生きている人間を表す「者(もの)」と生きていない存在を表す「物」の発音が全く一緒になっている上に、その上、この「物」という漢字を、今度は生きている「動物」や「植物」にも(これは中国語も同じですが)そのまま流用していますが、はっきり言って、生きている生き物(英語だとAnimalやPlant)と、生きていない単なる物(英語だとThingやGoods)との区別が極めて曖昧な点が、私には言語学的にかなり未熟であると思われるので、おそらく、これは推測ですが、こうした言葉が成立した時代には、人間や生き物を単なる物としてしか扱わないような、かなり残酷というか、非人道的なことがたくさん行われていたのではないか、というように率直に感じております。

 

3、「死」、「師」、「子」、「四」・・・、それにしても英語で「Death」を表す「し」の発音の語が、あまりにも多過ぎるのではないか

 第三には、これは他の言葉に関しても、ほとんど同じように日本語全般に言えることなのですが、日本語だと「し」という言葉が、いろいろな所でたくさん用いられていますが、パッと思い浮かぶものから言うと、先生も「師」なら、死ぬことも「死」で、名前も「氏」かと思えば、数字にも「四」があるなどという具合に非常にたくさんの言葉が、ほんのちょっとした発音の違いがあるだけで、ほとんど同じような「し」という発音を当てて表すことになっています。

 これは、いっけん、まるで中国語起源のように思われるのですが、ところが現代の中国語を調べても、これらの漢字を訳すと、ほぼ全部、全く違う発音や単語を当てているので(そんなに似たような発音の言葉がたくさんあったら、中国人だって混乱して意味が分からなくなります)、おそらく少し前の時代に当時の日本人の権力者に当たる人々が、これらの漢字の読みをかなり強制的に同じ発音に揃えて当てたものなのではないかと思われます。

※あと、セックスを表す「性(せい)」と同じ発音の言葉も少し多過ぎるような気がします?(そうすると、昔から日本は「オタクの国」、「妄想の国」だったかもしれない、という仮説が成り立ちます?)。

 

4、いくら言霊の幸わう国だからって、言葉に出す意味の「言(こと)」と、何らかの出来事の「事(こと)」の発音が一緒だと、霊的な言語学においては話す言葉が、次々と意味不明の霊的な現実を引き起こすような「もののけの国」や「カオスの国」になってしまうので、霊的に見ると本当はとても危険である

 第四には、「こと」という言葉になるのですが、この場合、問題なのは、言葉を表す「言(こと)」と、何らかの出来事を表す「事(こと)」が完全に同じ発音であるので、それゆえ日本語であると、言葉と出来事との違いが、何となく理解しづらくなってしまうということです(英語だと、言葉は一般に「Word」で、出来事は「Thing」になっているので、全く違う発音になりますね)。

 これは霊的な言語学に照らしてみないとよく分かりづらいのですが、実は、こうした形で言霊(ことだま)信仰を標榜しているような国において、言葉の「言」と、出来事の「事」という言葉を一緒にしておいてしまうと、霊的には、いろいろな人々が話す言葉が、物質的、あるいは四次元的に次々と意味不明の霊的な現実を引き起こしてしまうような「もののけの国」や「カオスの国」になってしまうので、本当は、霊的に見ると非常に問題が多い言語の一つであったということです。

 ですから「もののけ姫」のアニメではないのですが、古代の日本では、世界の他の国々と比べて、こうした言語の弊害によって、その国の成り立ちというか状況が、実際、非常に混沌とした訳の分からない混乱した状況になっていたのではないか、ということです。

 

5、日本語だと、よく考えてみると語源がかなり意味不明、しかも漢字の発音の当て方は、かなり異常と思われる言葉が数多くあるので、多くの日本人の学校教育の経験による単純な思い込みとはかなり違って、英語が比較的修得の易しい言語であるのに対して、日本語は、おそらく、その五倍は修得の難しい実質的な鎖国言語になってしまっているのではないか

 それから最後には、「数(かず)」という言葉になるのですが、みなさんもよくご存知のように現代は、ものすごい数字の大活躍する社会になっているのですが、この数字を表す「数(かず)」と、調和を表す「和(わ、かず)」が同じ発音になっているのも、霊的な言語学においては、霊的にはかなり大混乱を招く、おかしな言語であるというように判断されるということです。

 このようにもう例をあげてゆくと、本当にきりがないのですが、要するに現在、私達が使っている日本語というのは、よく考えてみると一つ一つの語源がかなり意味不明で、しかも後から、どんどん増えていった中国発祥の漢字の発音の当て方も、かなり異常と思われる言葉が数多くあるので(日本語と違って中国語では、一つの漢字にいくつも違う発音を当てたりしません)、私は、これは自然発生的に少しずつ発展していった言語というよりは、誰かが、何らかの目的の下に一つ一つの言葉や文法に対して、かなり悪意をもって変更を加えていった一種の「カオス言語」の一つだったのではないか、というように考えております。

 ですから現代の日本人の学校教育の経験による単純な思い込みとはかなり違って(学校に行くと、たいていの人は英語に対して、ものすごい苦手意識ができますよね)、英語の場合、基本的に文字はそのまま発音を表し、文法も比較的単純で簡単であるのに対し、現代の日本語というのは、文字はひらがらやカタカナはともかくとして、漢字になると発音なんて、その時々の状況によって一体幾つあるのか、さっぱり分からないし、文法もかなりごちゃごちゃしている印象を受けるので、はっきり言って、何も知らない子供が、こうした言語を覚える際には、英語は、比較的簡単に1年、2年で読み書きや会話ができるようになるのに対して、日本語の場合には、おそらく最低でも、その5倍くらいは、読み書きや会話の修得に時間のかかるかなり難しい、言ってみれば、一種の人工的な鎖国言語になっているのではないか、というように私は率直に考えております。

 

Cecye(セスィエ)

2011年7月1日 7:31 PM, おすすめ記事 / コラム / スピリチュアリズム、霊界 / 宗教、道徳 / 政治 / 教育 / 歴史



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