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そろそろ学校の勉強がバカらしくなってきた人のために―――短期間でテストの点数や成績をアップするための秘訣について Part 12

 前回ぐらいから成績やテストの点数アップの話からは少し外れてきているのですが、私の社会での体験上、学校の成績や出身大学はすごかったけれど、話してみると能力的、あるいは人間的には今ひとつかなと思われるような人が時折見られたので、このまま学校の勉強以外の勉強に当たる内容について触れてゆきたいと思います。

 

8、もし現在の学校生活の中で、「世の中には勉強のできる頭のいい人と、勉強のできない頭の悪い人がいる」というような無意識のうちに人間を差別するような感覚が強くなってきた場合には、より実社会の現実に合わせた形で、いろいろな人々のいろいろな物の見方や考え方を知るためのちょっとした努力や冒険を始めた方が、長い目で見ると、人間としてはより幸福で充実した人生を送れるようになるかもしれない

 第八には、これもあまり指摘されないような話になってくるのですが、現代の社会であると学校で勉強のできる人は、まるで生まれながらにして頭の良い賢い人間で、その反対に学校で勉強のできない人は、まるで生まれながらして頭の悪い馬鹿な人間であるかのように、いつの間にかかなり強力に思い込まされてゆくようなところがあるのですが、ところがよく考えてみるとこうした考え方というのは、ある意味で一部の人々の身分を認め、一部の人々の差別を認めるような、言ってみれば、憲法で保障された人間平等の原則を著しく踏みにじるような一種の差別思想を強要するようなかなり問題のある学校運営なのではないかということなのです。

 それゆえ私は長い間、学校に通っているうちに「自分は勉強のできない馬鹿な人間なんだ」、とか、「自分は他の人と比べると、ずいぶん勉強のできる頭のいい人間なんだ」などというように、何となく人を見るたびに「この人は自分より勉強のできる頭のいい人で、この人は自分より勉強のできない頭の悪い人なんだ」というようなことが反射的に頭に浮かぶようになってきた場合には、「これは民主主義国の普通の市民の感覚ではなく、一昔前の王制や貴族制の国か、あるいは独裁国における身分の高いエリートと身分の低い一般庶民の感覚をいつの間にか自分は不当に強要され始めているのではないか」などというように、本当は民主主義国の市民としてはかなり警戒感をもって、そうした自分の精神状態や、あるいはそうした価値観を自分に不当に強要してくる学校の運営状況に対して異議を唱えなくてはならないということなのです。

 それゆえ、もし自分が現在の学校において、いつの間にか、「クラスのたくさんの人と比べると、自分は勉強のできない、ちょっと馬鹿な人間なんだ」、とか、「この学校の中で、自分はすごく勉強のできる上位の成績優秀者なので、普通の人よりも自分はかなり凄いんだ」、などというような感覚が出てくるようになってきたら、「現在の自分の精神状態は、民主主義国の市民としては、かなり偏向した異常な状態になっているのではないか」、とか、「こうした精神状態を強要する学校の運営からは、自分は少し距離をとって付き合わなくてはならないのではないか」、というように少し客観的な態度で、もう一度冷静に自分自身のポジションを見直さなくてはならないということなのです。

 私は、こうした際に非常に重要であると思っていることは、できるだけ「自分」という小さな立場を離れて、どれだけ多くの人々の立場に立った見方や考え方ができるか、ということをもう一度、自分自身に自問自答することなのではないかと考えているのですが、その際に非常に有効であると思われる解決策としては、以下のような三つの方法があげられます。

 

1、どんなに面倒くさく馬鹿らしいと感じても、時々自分の世代以外の少し年齢の高い人から、いろいろな世間話や人生談のようなものを、できるだけいろいろな機会を見つけては、耳を澄まして聞いてみるべきである

 まず第一には、これは少し難しいのですが、たとえ、どんなに面倒くさく馬鹿らしいと感じても、自分の世代以外の少し年齢が高い人から、いろいろな世間話や人生談のようなことを、できるだけいろいろな機会を見つけては、耳を澄まして、よく聞くことです。

 それというのは、これは社会に出ると本当に非常に痛感することであるのですが、とにもかくにも学校で教わったことが社会に出るとほとんど通用しないばかりか、それどころか現在の日本であると、そうした社会の実態からはかなりかけ離れたというよりも、もっと正確に言うと、ほとんど正反対の運営方針でもって学校運営が行われていることが非常に多いからなのです。

 つまり、よく考えてみると文部科学省の役人も学校の教師をやっている人々も、現実の社会の実体験の非常に少ない単なるペーパーテストの合格者ばかりが採用されているために、彼らが現実の社会の本当の厳しさや大変さや、あるいは、そうした厳しい社会を生き抜いてゆくための人生の知恵や教訓のようなものをあまりにも知らなすぎるということが、現在の日本では、本来の教育のあり方としては、本当に致命的な問題を引き起こしているということなのです。

 それゆえ、こうした現在の日本の学校運営の問題からある程度、自分の身を守ってゆくためには、たとえ、どんなに面倒くさく馬鹿らしいと感じても、自分の世代以外の少し年齢が高い人から、いろいろな世間話や人生談のようなことを、できるだけいろいろな機会を見つけては、耳を澄まして、よく聞くことがとても大切であると言えるでしょう。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年6月30日 6:03 PM, コラム / 教育



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