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光の生命群と闇の生命群との間で、永遠に近く続いてきた、愛の迷路、愛の悲劇のループ

 今回も、前回に引き続き、前に書いた文章からの抜粋になります(途中からで、分かりづらい方は、もう少し前の所から、お読みになることを勧めます)。

 

光の生命群と闇の生命群との間で、永遠に近く続いてきた、愛の迷路、愛の悲劇のループ

 そうすると、ここで、非常に恐ろしい結論が出てくることになるのですが、このように、常に自立を志向し、自ら富や幸福を生み出すような性質を持つ光の生命群と、そうではなく、常に侵略や略奪を志向し、他の生命の富や幸福を奪い取るような性質を持つ闇の生命群が、この宇宙に同時に存在している場合においては、たとえ、そうした二つの生命群が、最初は、全く別の世界で、全く別の生活を営んでいたとしても、一方の光の生命群としては、必ず、創造性や愛の観点から、いっけん、苦悩や悲しみの生活に埋没しているように見える闇の生命群に対して、何らかの救いの手を差し伸べようとすることになるし、また、一方の闇の生命群としては、必ず、侵略や略奪の観点から、そうした素晴らしい富や幸福を、十分に手に入れている光の生命群に対して、何らかの口実を設けては、巧みに近付き、取り入ろうとしてくることになるはずなのです。

 ところが、この結末というのが、悲惨なのであり、それというのは、こうした、常に創造性と愛の立場に立とうとするような光の生命群と、それから、もう一方の、常に破壊と略奪の立場に立とうとするような闇の生命群が、何らかの機会に遭遇した場合、一方の創造性や愛の立場に立つ光の生命群というのは、彼らの信じる価値観や世界観の立場から、たとえ、自分達が、いかなる立場や境遇に陥ったとしても、彼らにとって、本当の光の兄弟姉妹であると深く信じ込んでいるような友人や同胞達に対して、どこまでも愛し、また、どこまでも見捨てない、というような尊い(ある意味で、お人好しの)信条や行動を貫こうとするのに対して、もう一方の破壊や略奪の立場に立つ闇の生命群というのは、その時々の立場や状況によって、さっきまで善良な良い人間や生物を演じていたかと思うと、突然、手のひらを返すがごとく、嘘をついたり、裏切るようなことは、平気でやるし、その上、ものすごく残酷至極な犯罪行為や、インチキの塊のような、ずる賢い陰謀のようなことでも、何の罪悪感も感じることなく、本当に、いくらでも、たくさん、やってのけるようなところがあった、ということなのです。

 それゆえ、しばらくすると、いくら、そうしたお人好しの光の生命群の人々であったとしても、だんだん、彼らと適当に距離を置くようになったり、あるいは、彼らを自分達の世界から、だんだん追い出そうとし始めるようになるのは、ほぼお決まりの結論になるはずなのですが、ところが、こうした闇の生命群というのは、基本的に、そうした光の生命群から、何かを奪ったり、壊したりすることによってのみ自分達の生命を維持することができる、というような生命の立場に立つことから、いくら、「ダメだ」、と言っても、隙さえあれば、また、何か取ろうとしてくる、とか、いくら追い出そうとしても、また、すぐに戻ってこようとする、などという具合に、一度、彼らに近づいて、何らかの縁を作ってしまうと、もうそれっきり、なかなか離れようとしない、というような、本当に、どこまでも、しつこくまとわり付いてくるような性質があった、ということなのです。

 この結果、一体、どうなるのかというと、一方の光の生命群というのは、創造性や愛の観点から、基本的には、また、どこかで時点で、彼らに同情したり、何か恵みを与えようとしたりすることが多かったり、また、一方の闇の生命群というのは、いくら引き離されても、また、すぐに近付いてきては、何かを奪おうとしてくることが多かったりする、ということになるのですが、こうした状況は、いわゆる、巷の男女の恋愛の泥沼劇とほとんど同じなのであり、それというのは、一方は、本当は別れたいのに、すぐに親切な愛の行為を繰り返そうとしてしまうし、また、もう一方は、最初から相手を利用することしか、本当は、全く考えていないのに、それを隠して、わりと信用が得られるような好人物を演じたり、あるいは、わざと気を引くような同情を誘うような行為を演じるようなことを、えんえんと繰り返すような始末になってしまう、ということなのです。

 その結果、この宇宙では、一体、どのようなことが起きたのか、というと、これは、本当に、愛の迷路、というか、愛の悲劇としか言いようがないのですが、つまり、一方の光の生命群というのは、創造性や愛の観点から、基本的に、いつでも自立した生命の維持が可能であるにも関わらず、なぜか、彼らを脅かしたり、傷つけたりする可能性のある闇の生命群に対して、いつの間にか、まるで本能の一部でもあるかのごとく、何度も何度も接触しようとしたり、あるいは、何らかの救いの手を差し伸べようとしてしまいがちであった、ということと、それから、もう一方の闇の生命群というのは、常に破壊や略奪の観点から、そうした光の生命群に対して、何らかの手段で近付き、いろいろな関係を持とうとするのですが、もし、そうして双方の間に、何らかの関係が生じるようになると、そうした闇の生命群としては、彼らのライフスタイル自体を改めて、光の生命群のようなライフスタイルに変えれば、いつまでも、そうした光の世界に住み続けることも可能であるのですが、そうではなく、ほとんどすべてのケースにおいて、彼らとしては、最終的には、裏切ったり、何らかの陰謀をめぐらすことによって、そうした光の生命群の生活自体を、完全に破壊してしまうか、もしくは、ほとんど奴隷や家畜のような隷属的な立場に置いて、半永久的な支配階級に立とうとすることが、非常に多かった、ということなのです。

 このように、この宇宙における代表的な二つの幸福感の違いというのは、一方は、創造性や愛の立場から、また、一方は、破壊や略奪の立場から、ほとんど同じような不幸や過ちの繰り返しとも取れるような、愛の迷路や愛の悲劇のループに陥れてしまうことが、非常に多かった、ということなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年6月21日 9:04 PM, アセンション・シリーズ 4



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