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創造主と光の生命達の活動原理―「創造性」と「愛」と、闇の存在達の活動原理―「破壊」と「略奪」

 今回も、前回に引き続き、前に書いた文章からの抜粋になります(途中からで、分かりづらい方は、もう少し前の所から、お読みになることを勧めます)。

 

創造主と光の生命達の活動原理―「創造性」と「愛」と、闇の存在達の活動原理―「破壊」と「略奪」

 そうすると、この宇宙においては、一体、どのような現象が見られるようになるのか、というと、一方の、この宇宙の創造主の側としては、とにもかくにも、何か新しい創造行為を行い、また、次々と、彼の分身に当たるような光の生命達を生み出してゆく、というような宇宙の歴史の積み重ねになってゆき、また、もう一方の暗闇の存在達の側としては、そうして、生み出された創造主の創造物を、本当に片っ端から破壊したり、あるいは、次々と、彼らの食料として、実質的に、彼らの体の中に取り込んでゆく、というような宇宙の歴史の積み重ねになっていった、ということなのです。

 それでは、その際に、そうした暗闇の存在達というのは、一体、どのような感覚でもって、そうした破壊や略奪行為を行い続けていたのか、というと、それを人間的な感覚で説明すると、まずは、何か自分のリアリティーが欲しいと思ったら、どこの誰が作ったかということなど、一切、お構いなく、とにもかくにも、目の前にある存在を、片っ端から口に入れたり、あるいは、目の前にあるものを、何から何まで、それこそ、片っ端から、めちゃくちゃに破壊するようなことをしていると、初めて、自分自身の強烈な存在感や、周りの世界の強烈な存在感というものを感じ取ることができる、というような感覚であったのですが、これは、言ってみれば、親の愛情を、十分に受けられなかった子供が、情緒不安定な不良になって、周りの人々を、片っ端から傷付けたり、いじめたりしたり、あるいは、周りの物を、片っ端から壊したり、盗んだりしては、自分自身の欲求不満や破壊的衝動を満足させているのと、実は、何ら変わりない姿であった、ということなのです。

 つまり、今述べているような、暗闇の存在達の本質というのは、この宇宙の歴史において、その後、必然的に現われることになった、多くの人々や生命達の孤独感や寂しさ、あるいは、苦脳や絶望といった暗闇の精神性が、やがて、霊的、あるいは、宇宙的に、まるで、実体のある存在であるかのごとく、現象化し、また、活動するようになっていったものである、ということを、これは、間接的に意味しているのですが、その結果、こうした暗黒の存在達というのは、常に何を欲し、何を行おうとするようになっていったのか、というと、それは、彼ら自身の根源的な存在感のなさ、すなわち、「無」というものを埋め合わせるために、とにもかくにも、「有」、すなわち、何か存在として、あるものを見つけると、片っ端から奪い取っては、それを彼ら自身のものにしてゆこうとするようになった、ということと、もう一つは、彼ら自身の根源的な中身のなさ、すなわち、「虚」というものを埋め合わせるために、とにもかくにも、「実」、すなわち、何か実体のありそうなものを見つけると、片っ端から、それを破壊することによって、自分自身や周りの世界の存在のリアリティーというものを確認するようになっていった、ということであるのです。

 このように、彼ら暗闇の勢力の存在達というのは、基本的に、反宇宙的な存在であるために、「無」、もしくは、「虚」というものを、その本質として持っている、ということが言えるのですが、実は、そうした彼らの根源的な存在感のなさや、中身のなさを埋め合わせるための補償行為というか、どうしても不可欠な生存活動として、この宇宙の創造主自身や、彼から生まれた光の生命達といった、すべての存在を、次々と片っ端から破壊したり、奪ったりするような行為が、どうしても必要になってきたのではないか、ということなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年6月12日 9:02 PM, アセンション・シリーズ 4



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