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現在の地球の主だった宗教は、創造主や光の存在達の権威を利用して、多くの人々を縛り、操るための単なる支配の道具になっている Part 6

4、霊的に見ても、現実的に見ても、現在、多くの宗教で説かれているような宗教的救済は、ほぼ不可能だし、また、現代では、それ以外の非常に有益な問題解決の手法やシステムが、たくさん用意されているので、実際には、そうした宗教的救済は、ほとんど不必要な時代に移り変わりつつある

 それから、最後に、「救済」について、述べたいと思うのですが、この宗教的な救済の意味が、客観的に見る限り、私には、一体、何のことだか、さっぱり訳が分からない、ということなのです。

 

1、神頼みぐらいしか、困った時の解決策がなかったような一昔前の時代と違って、現代では、そうした神頼みよりも、現実の社会の保護や支援や、いろいろな専門家の指導やアドバイスに従った方が、ずっと簡単に物事の解決ができる

 まず、宗教によくある「救済」の意味は、「偉大な神仏が、自分が困った時に助けてくれる」、というような話になるのではないか、と私は思うのですが、これは、かなりドラスチックな考え方になって、申し訳ないのですが、一昔前の時代に、多くの人々が、政治的にも、経済的にも、非常に無力で、自分が困った時には、もう本当に神頼みするぐらいしか思いつかなかったような時代であれば、まあ、こうした考え方も分からないでもないのですが、現代のように、多くの人々が、別に表立って、政治的に弾圧されるわけでもなく、また、経済的に困窮して、毎日、食うや食わずやの困窮生活に陥っているわけでもないような時代においては、これは、はっきり言って、申し訳ないのですが、数学的に、確率的に考えてみる限り、そうした神仏にすがって、祈ったりするよりかは、怪我や病気の時には、医者に、精神的な問題の時には、カウンセラーや精神科医に、勉強の問題は、教師や学習塾に、経営上の問題は、銀行や経営コンサルタントに、経済的困窮には、政府や大金持ちの保護や支援に、それから、恋愛や結婚の悩みは、結婚相談所や、最近だとネット上の悩み相談の掲示板に、などというように、宗教的な救済にすがるよりかは、現実の社会における支援者や、あるいは、さまざまな専門家の指導やアドバイスに従った方が、ずっとずっと簡単に解決がつくのではないか、ということなのです。

 

2、霊的に見ると、宗教的に真面目に生きている人よりも、毎日、できるだけ楽しく幸福に生活している人の方が、天国のような世界に行きやすい、というような、霊界と、この世の間における妙なパラドックスの関係があった

 第二には、これは、宗教でよくある救済の話になるのですが、「自分の死後、万が一、間違って、真っ暗な地獄みたいな世界に行ってしまった時に、神仏に助けてもらおう」、というような意味での救済というのがあるのですが、これは、霊的な事実を知っている者として、誠に残念な宣告であるとしか、全く言いようがないのですが、実は、これまでの地球の歴史において、死後、「地獄」と呼ばれる世界に落ちてしまった人間というのは、生前、宗教的な話によって、よほど死後の世界の裁きを恐れていた人間か、もしくは、生前の段階から、ものすごい苦痛や恐怖の中で、ずっと生活していた人が、突然、亡くなって、自分が、死んだことすら、よく分からないような状況に置かれているということでもない限りは、まずは、めったにいなかった、ということです。

 つまり、はっきり言うと、死後、地獄のような世界に行く人は、それ以前の生前の世界において、常日頃から、現実の苦痛や恐怖に怯えていた人か、あるいは、現実の生活は、それほど大変ではなかったにも関わらず、日頃、自分が信じている宗教などの話において、常に、心の中が、苦悩や恐怖でいっぱいになっている人だけであった、ということを、これは意味しているのですが、そうすると、これは、昔から宗教を、一生懸命、信じてきた人にとっては、本当に不当極まる、あるいは、本当に頭に来る話になってくると思うのですが、実は、巷の宗教の話とは、全く違って、この物質世界での生活において、信仰なんて、適当にやって、毎日、のほほんと楽しく暮らしてきた、とか、宗教的戒律なんて、ほとんど気にせずに、贅沢三昧、快楽三昧の生活をしていた、という人の方が、死後、あまり地獄のような所に赴くことが、少なかった、というような、ちょっと訳の分からないような霊的な真実があった、ということなのです。

 もちろん、そうした人であっても、あまりにも周りの人達に、いろいろと迷惑をかけ過ぎた、というような人に関しては、死後は、地獄のような所に行かなかったとしても、その次の生まれ変わりにおいて、やはり、それなりのカルマの刈り取りのようなことをしなくてはならなくなるようなことも、実際、非常に多いのですが、それにも関わらず、別に、それほど積極的に他の人に対して、危害や迷惑を加えたわけでもない、ということであれば、基本的には、ずっと真面目に、こわぼてで、宗教的な生活をしている人よりも、毎日、のほほんと楽しい生活を送っている人の方が、実は、霊的に見ると、ずっと正しい生活をしていたことになる、ということなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年5月18日 9:33 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観



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