Light Symbol

幸福な世界の最大化を目指しているのが、光の勢力であり、不幸な世界の最大化を目指しているのが、闇の勢力である Part 7

③現在のような価値観の多様化の時代には、誰かに教えられた絶対的な善悪の基準に従うのではなく、自分や他の人々の幸福の実現や、その最大化、さらには、この宇宙の創造主(光の存在達)の幸福の実現や、その最大化といった視点で、常に自分の頭で、よく考えて、物事の正邪や良し悪しを決めなくてはならない

 第三には、これは、もう少し精神的な事項になるのですが、人間というのは、誰かから、「これは、良いこと」、「これは、悪いこと」、などと聞くと、それだけで、何となく、すべて分かったような気分になりがちなのですが、先ほども述べたように、実際には、善悪の境界というのは、結構、微妙で曖昧なところがある、ということなのです。

 確かに、これまでの地球の社会でなら、そうした単純素朴な善悪の価値観だけでも、十分、立派に生きてゆけたのではないか、と私も思うのですが、これが、アセンション後の世界になると、こうした単純素朴な善悪の価値観だけでは、物事というのが、だんだん、訳が分からなくなってゆくはずなので、それゆえ、今後のアセンション後の世界においては、「この人の、このケースの場合は、これは、良いけれども、この人の、このケースの場合は、ダメ」、などというように、それぞれの時や場所や人や、あるいは、条件などによって、自分の頭で、よく考えて、その良し悪しを判断できるようになってゆくことが、非常に大切なのではないか、というように、私は考えております。

 それでは、その際に、一体、どのような基準で、そうした物事の良し悪しを決めれてゆけばよいのか、というと、その基準は、普通の民主主義社会では、「それによって、自分が、幸福になれるか、あるいは、自分は、不幸にならないか」、ということと、それから、「それによって、周りの人々を幸福にできるか、あるいは、周りの人々を不幸にしないか、」、ということの二つの基準になります。

 それから、それに、もし、宗教的、というか、霊的な基準を、さらに加える場合には、「それによって、この宇宙の創造主、もしくは、神仏に当たるような光の存在達を幸福にできるか、あるいは、不幸にしたりしないか」、というような、もう一つの基準を加えることもできるのですが、要は、こうした幸福の実現、あるいは、幸福の最大化、もしくは、不幸の非実現、あるいは、不幸の最小化、というような基準によって、その時々の状況によって、自分の頭で、しっかり考えて、それが、良いことか、悪いことか、ということを決めてゆけばよい、ということです。

 このように、今後のアセンション後の世界においては、これまでの時代のように、単純に、「誰それに、○○と教えられたから、これは、真実で、善」、とか、「○○の本に、こう書かれていたから、これは、嘘で、悪」、などと考えるのではなく、その時々の状況に応じて、自分の頭で、それが、良いことか、悪いことか、ということを、しっかり考えて、決めながら、行動してゆくことが、とても大切になってくる、ということが言えるでしょう。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年4月26日 9:21 PM, 人生観、世界観 / 政治



«

»

おすすめ記事

過去の記事