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いくら神仏の名前を口で呼んでも、本当の神仏には、全く聞こえていないようなケースが、たくさんある

 今回も祈りや瞑想における注意点について述べたいと思います。

 

いくら神仏の名前を口で呼んでも、本当の神仏には、全く聞こえていないようなケースが、たくさんある

 これは、まだ現在の地球の宗教では、あまり言われていないような内容になるのですが、前に神仏の絵や像を、まるで本物の神仏のように拝んだり、祈ったりすることは、非常に問題があるということを述べたのとほとんど同じような理由で、実は、神仏の名前や、霊的に効力があると言われているような言葉を口に出すことも、結構、霊的には、危険な要素があるということなのです。

 その理由としては、三つあげられます。

 

1、単なる物質的な存在の響きにすぎない「神仏の名前」や「言葉」そのものに、いくら強い執着や念のようなものを込めても、絶対に神仏の元には届かない

 まず第一には、これは神仏の絵や像を、まるで本物の神仏のように拝むことの危険性とほとんど同じような理由になるのですが、なんだかんだ言っても「言葉」というのは、単に物質的な形態を伴っていないだけで、基本的に体の振動や空気の振動に基づく物質的な存在の波動に過ぎないので、それゆえ、そうした物質的な存在の波動である言葉の響きというものに、あまりにも強い執着や思い込みのようなものを込める行為というのは、言ってみれば、本当は、非常に霊的な存在であるはずの神仏に直接つながるのではなく、単に非常に硬くて重い物質的な存在である、本物の神仏ではないような偽神仏につながったり、あるいは、自分自身の霊的な波動を押し下げて、より物質的な存在に成り下げてしまう行為になることがあるので、非常に危険であるということです。

 

2、地球の言語には、波動の高い言語と低い言語があるので、神仏の名前を呼ぶ時には、できるだけ波動の高い言語や話し方で呼ぶようにした方が賢明である

 第二には、これは現在、まだあまり指摘されることが少ないのですが、現在の地球人の話している言語の波動というものを調べてみると、波動的に、わりと高い状態で楽に話せる言語と、そうではなく、波動的には少し重くて、あまり楽に話せないような言語の大きく二種類の言語があるのです。

 その違いは簡単で、自分で、その言語を口に出してみて、わりと明るく楽しく、しかも自分の言いたいことがストレートによく伝わりやすい言語が、より波動的に高い言語であり、その反対に自分で、その言語を口に出してみると、何となく暗く冷淡になり、また自分の言いたいことが、あまりストレートに伝わりにくい言語が、波動的には、あまり高くない言語ということになります。

 このような目で、現在の地球の言語を霊的に分析してみると、実は、その国の人々が話している言語の違いによって、同じ神仏の名前でも、波動的には、全く違う世界の存在に通じてしまうことが、霊的には、実際に起きうるということなのです。

 ですから、単に神仏の名前さえ呼べばよいというのは、霊的には大きな間違いで、そうした神仏の名前を呼ぶ時には、できるだけ、そうした神仏に正しくつながることができるような波動の高い言語や話し方で呼ぶか、もしくは、全く言語を使わないような形でつながるようにしないと、霊的には、結構危険であったということなのです。

 

3、神仏の絵や像に向かって強く念じても、神仏の名前を強く呼んでも、自分自身の波動が低ければ、神仏には絶対届かないので、注意が必要である

 第三には、これも、あまり指摘されることが少ないのですが、「神」にしても「仏」にしても、あるいは、それ以外の霊的存在である「天使」や「菩薩」と呼ばれるような存在にしても、決して単なる物質、つまり物の塊ではないので、神仏の絵や像のような具体的な物のイメージで、そうした霊的存在の名前を呼んでも、基本的にそうした霊的存在とは、霊的には、全くつながらないということです。

 ですから、本当は、そうした神仏の名前というのは、よくいろいろな宗教の儀式で行われるように、非常に強くきつい感じで、はっきり呼ぶのではなく、体の力を抜いて、自分自身の波動をできるだけ精妙にしながら、そうした言葉の表す精妙な霊的存在そのものに対して、直接、自分の意識を向けるような形で、言葉そのものというよりも、むしろ心の中で、そっと謙虚に、信頼と愛情を込めて、名前を呼ぶような形にしないと、これは、はっきり言って悪いのですが、まずは、そうした霊的存在の元に自分の言葉や意思が直接届くことは、めったにない、というような結構、厳しい状況になってしまいがちであったということなのです。

 

 このように、よく宗教では、神仏の名前を唱えることの重要性が説かれることが多いのですが、残念ながら現在の地球の宗教で説かれているような方法では、実際には、そうした高次元の光の世界に存在している本当の神仏のような霊的存在には、自分自身の言葉ばかりか、心の中の意図すら全く伝わらないような状況になりがちであるので、これには、非常に注意が必要であるということが言えるでしょう。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年3月26日 9:33 PM, おすすめ記事 / スピリチュアリズム、霊界 / 瞑想



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