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Q&A 自分自身の波動を精妙に保つ上での注意点について Part 8

9、たとえ、どんなに良いと言われるような宗教修行であったとしても、退屈でつまらない嫌なことや、不幸でみじめな自己認識を押し付けられるような宗教修行は、百害あって一利なしである

 第九には、これは宗教の世界では、あまり言われないような内容になってくるのですが、実は、多くの宗教で勧めるような精神的な指針とは、かなり違って、霊的に見ると、次のような二つの精神的な状況というのは、本当は、結構、かなり危険なところがあるということなのです。

 

1、たとえ宗教であっても、自分が、とても退屈でつまらない嫌だと感じるような修行は、たいてい霊的にも、ほとんど良い効果がないケースが多い

 それでは、それは、いったいどのような精神状態のことなのかというと、まず第一には、よく宗教においては、長時間、とにかく、一つのことだけに自分の意識を集中し続けて、何らかのビジョンやイメージを念じ続けたり、あるいは、何らかの呪文や経文を読み続けたり、同じような動作をやり続けるような修行のスタイルというのが、結構多いのですが、もし、この際に「もう疲れた」とか、「頭がボーッとしてくる」とか、「すっかり飽きてしまった」とか、「何かの決まりや目標さえなければ、今すぐでも逃げ出したい」などというような考えが、何となくであっても、頭の中をぐるぐる回り出すような修行の内容に関しては、これは、この地上の世界においては、形的には、あるいは、肉体的には、何らかの意味や効果は見いだせるのかもしれないけれど、精神的、あるいは、霊的には、ほとんど何の意味も効果もないというように簡単に割り切って、止めた方が賢明であるということです。

 

2、どんな人間集団であったとしても、あまりにも不幸で、みじめな自己認識を押し付けてくるような人間集団からは、サッサと足を洗った方が賢明である

 第二には、これは、本当は宗教だけではなく、学校でも会社でも、ほとんど同じであるのですが、あまりにも自分が属する集団の中において、「お前は、全然ダメだな」とか、「君は、全然勉強ができないね」とか、「あの人はよく出来るのに、君は、まだまだだね」とか、「君は、頭が悪いんだね」などというように、一方的に不幸で、みじめな自己認識を押し付けてくるような所からは、サッサと足を洗った方が賢明であるということです。

 これはよく考えてみると分かるのですが、普通、まともな人間集団であれば、「出来ない人がいたら、すぐに何とか出来るようにしてあげるのが、当たり前」とか、「誰か一人でも不幸そうな人がいたら、すぐにその人が楽しく幸せな気分で過ごせるようにしてあげるのが、当たり前」とか、「もし勉強や仕事でつまずいている人がいたら、それは、その人だけの責任じゃなくて、その人を管理したり、教えたりしている上司や教師の責任でもある」というのが、ごくごく普通の当然の考え方なのではないか、と私は思うのですが、ところが現在の日本だと、こうした当たり前のことが、義務教育の段階から全く当たり前に行われていないので、その結果、学校を卒業した後も、宗教や会社などで、こうした当たり前でない状況に置かれても、それが異常な状態であると、自分で、はっきりと判断できなくなってしまうような人達が、実際、大勢いるということなのです。

 その結果、現代の日本では、いわゆる、一昔前からよくあるような、端から見ると、かなり異常な印象を持つような新興宗教の勃興であるとか、ほとんど詐欺まがいのむちゃくちゃなインチキ営業会社の興隆というのが、実際、よく起きていたということなのですが、それはさておき、要は、本当の霊的な立場としては、あまりにも自分が、不幸でみじめな自己認識しか持てないような人間集団からは、それが宗教であれ、学校であれ、また会社であれ、できれば一刻も早く、サッサと逃げ出した方が賢明であるということなのです。

※別のページに書いてあるのですが、これは就職して合わなかったら、すぐにやめろと言っているのではなくて、私は、どちらかと言えば、できるだけ早く時間をかけて、自分が、最も楽しく幸せだと思えるような仕事を選んだ方がいい、というような立場になります。

 

たとえ宗教であったとしても、極度の我慢や服従や、不幸でみじめな自己認識を無理やり押し付けてくる場合には、それは本当は、その組織の維持や権威の維持が目的なので、霊的に見ると、百害あって一利なしである

 このように一般に、特に宗教などにおいては、「とにかく我慢し、辛抱することが大切だ」とか、「自分の上の師匠や先輩のことは、絶対に立てて、従わなくてはいけない」とか、「常に自分を空(むな)しく謙虚にして、小さくなっていなくてはならない」というような価値観を押し付けてくることが非常に多いのですが、本当は、こうした価値観というのは、この世的な組織の維持であるとか、権威の維持のためのみに必要なことなのであって、霊的に見た場合、はっきり言って、本当は、百害あって一利なしなのではないか、というように私は率直に感じております。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2011年3月25日 9:22 PM, Q&A  / スピリチュアリズム、霊界 / 人生観、世界観 / 宗教、道徳



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