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霊的宇宙的に、真に自由であり続けるためには、そう簡単に、人間の上に人間を置いたり、人間の下に人間を置くような人生観や世界観を持ってはいけない

 ミッションが立て込んでいて、かなり忙しいために、ちょっと文章を書く時間がないために、当分、前に書きためた文章を、少しずつ載せてゆきたいと思います。

 

霊的宇宙的に、真に自由であり続けるためには、そう簡単に、人間の上に人間を置いたり、人間の下に人間を置くような人生観や世界観を持ってはいけない

 これは、宗教であっても、民主政治であっても、この世界で、人間として生きてゆくためには、本当に鉄則と言ってもよいような内容であるのですが、とにもかくにも、人間(人間以外の生物に関しても、本当は、基本的に同じなのですが)が、霊的、あるいは、宇宙的に、真に自由であるためには、たとえ、どのような状況に置かれたとしても、そう簡単に、人間の上に人間を置いたり、あるいは、人間の下に人間を置くような人生観や世界観、つまり、自分の上に、絶対的に自分より上の立場の存在を認めたり、受け入れたりしたり、あるいは、その反対に、自分の下に、絶対的に自分より下の立場の存在というものを認めたり、受け入れたりしては、絶対にいけない、ということです。

 例をあげて、説明すると、例えば、自分より上の存在としては、身近な存在としては、親や学校の教師や仕事上の上司がいたり、また、社会的には、政治家や役人や学者や医者のような人達がいたりするのですが、要は、人間が、社会的儀礼として、あるいは、仕事上や世間上の付き合いとして、一時的に、ある程度、一方的に、自分が話を聞いたり、説明や命令を受けるような状況というものは、当然、あり得るとしても、そうした人間を、まるで神のように、絶対的に自分より上の立場の存在のように認めたり、受け入れたりしては、絶対にいけない、ということと、また、その反対に、例えば、自分より下の存在としては、身近な存在としては、子供や学校の生徒や仕事上の部下がいたり、また、社会的には、政治家や役人や学者や医者のような人達に対して、普通の一般市民がいたり、そうした専門的サービスを受ける、何らかの素人がいたり、あるいは、ホームレスや病人や障害者がいたりするのですが、要は、人間が、社会的な儀礼として、あるいは、仕事上や世間上の振る舞いとして、一時的に、ある程度、一方的に、自分が、そうした人々に対して、何か説明や命令のようなことをしたり、保護や救済のための活動を行ったりしたとしても、そうした人間を蔑んで、絶対的に自分より下の立場の存在のように認めたり、受け入れたりしては、絶対にいけない、ということなのです。

 

あまり強く差別的な人生観や世界観を持っていると、より物質的で、硬い、低次元の波動領域に引き入れられることになってしまう

 こうした差別の概念は、民主主義が発達する以前の社会においては、はっきり言って、全世界、どこでも至る所で見られたような、ごくごく普通の概念であったということなのですが、ところが、こうした差別の概念を持っていると、差別というのは、四次元以下の世界を作り上げている、暗闇と分割のイデアの代表的な要素の一つであるので、どんな人であっても、本当に容易に、暗闇の勢力の連中によって、低次元の領域に引き入れられてしまう、ということと、もう一つは、もし、こうした人生観や世界観に基づく、信仰のスタイルを持っていると(これは、自分の精神の変化というものを、ある程度、客観的に調べる実験をしてみれば、誰でも分かると思うのですが)、霊的には、自分のみならず、自分が崇拝している対象(それが光っている場合もあれば、暗い場合もあるのですが)すらも、両者が、お互いに、霊的に一つになるというよりかは、はっきり言うと、より分断されて、物質的になる、というか、霊的、あるいは、宇宙的には、より硬くなって、両者とも波動的に、ずりずりと下がってゆくような状態になってしまう、ということであったのです。

 それゆえ、実は、宇宙的な信仰のスタイルにおいては、たとえ、いかに優れた霊的なマスターのような存在であったとしても、そうした相手から、さまざまな教えを受けるための最低限の礼節というものは、当然、大切にされてはいるのですが、たとえ、そうであったとしても、そうした霊的なマスターのような人物を、絶対的に自分より上の存在として崇め立てるような行為や、あるいは、そうした霊的なマスターに対して、絶対的に、自分が、まるで目下のような態度をとることは、よほどの特別なこと(霊的なイニシエーションを受けるとか、重大な過失や間違いを犯したようなケースのこと)でもない限りにおいては、たいてい、厳重に禁じられていることが、非常に多い、ということなのです。

 このように、とにもかくにも、人間が、霊的、あるいは、宇宙的に、真に自由であるためには、そう簡単に、人間より上の立場の人間の存在を認めたり、受け入れたり、あるいは、人間より下の立場の人間の存在というものを認めたり、受け入れたりしては、絶対にいけない、ということなのです。

 

Cecye(セスィエ)

2011年1月27日 9:29 PM, アセンション・シリーズ 5



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