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霊界の真相 Part 5

②神様と、宗教的瞑想にふける信者の間の霊的な風景

 次には、その信者は瞑想のようなことを始めることになるのですが、この際も、「まずは教祖様や先生の言われた通りに、こういうイメージや考えをしっかり持って、それ以外のイメージや考えは、すべて悪魔の惑わしなのでしっかり排除しなくちゃ」とか、「とにかく心を鎮めることが大事なので、もし何か楽しそうなことや、やりたいことが思い浮かんでも、とにかく、サッと心を切り替えなくては・・・」などと考えていることが非常に多いのですが、ところが、これも神様の側から見ると、「ちょっと君、そんなイメージを強く心に描き続けても、それって、どこにもない、その宗教だけの想像の世界みたいなイメージに過ぎないんだよ」とか、「そこは本当の天国じゃなくて、それより遥か下の全然楽しくない我慢の世界みたいな領域の風景だよ」とか、「そんな変なイメージを強く持ったまま死んだら、死んだ後、誰も助けにいけないような変な世界に閉じ込められることになるから、君、その天国と称する強い妄想の世界にはまるのは、もう止めた方がいいんじゃない」などと、何度も何度も言われるような状況になりがちであったのです。

 ところが、こうした神様の声のようなものが、もし、その信者に聞こえてきたとしても、たいていの場合、その信者は、「また悪魔のまやかしだ。私は絶対、この信念を曲げないぞ!」とか、「私は、この信仰を絶対に捨てない。そして最後の審判で、絶対に永遠の生命を得るんだ!」などと言っては、一瞬にうちに、ほぼ完全に全否定するような事態になってしまうことが非常に多かったのです。

 

③神様と、宗教修行に励む信者の間の霊的な風景

 さらに、いろいろな宗教的修行と呼ばれる行為の場合には、その信者は、「神様や他の人のために尽くすことは、本当に気持ちのいい行為だ」とか、「これでまた徳が積めた」とか、「この大変な荒行や苦行を乗り越えられたということは、自分もまた一歩、究極の悟りに近づいたのだ」などと考えていることが多いのですが、これもそうした神様の側から見ると、「その君の信じてる神様って、一体何なんだ。それって結局、その教団の利益にしかならないんだろう。そんなもの、さっさと止めて、何かのボランティアでもした方が、よっぽどいいんじゃない」とか、「他の人のために奉仕するのは、とてもいいことだけど、なんで君自身は、そんなに不幸そうなの?」、「そんなに大変なら、別にそれは君がやらなくても大丈夫なんだよ」とか、「その荒行や苦行に集中するたびに君の精神世界は、どんどん暗く小さくなっていっているのだから、そんな荒行や苦行はもう止めたら?」などと言っていることが、実際、ほとんどであったのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2010年12月25日 9:33 PM, スピリチュアリズム、霊界 / 宗教、道徳



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