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高次元宇宙では、自分の認識中心の存在論や世界観が、わりとスタンダードな世界の見方になっている

 今回から、何回かに渡って、高次元宇宙の人々から見た地球の様子、というか、感想について、述べてゆきたいと思います。

 

この宇宙では、自分の認識のあり方によって、自分自身の状態も、外部の世界の状態も、簡単に、コロコロ変わる、というような認識のあり方が、わりとスタンダードな認識論になっている

 前にも述べたように、現在、私達の住んでいる、この地球から観測できる外宇宙の天体の様子というのは、これは、あくまで、現在の地球人の平均的な認識を、そのまま反映したような形で見えている、というか、存在しているように見える、一種の仮想現実的な宇宙の姿なので、それゆえ、そうした外宇宙に住んでいる人々から見えている、というか、認識されている、本当の外宇宙の姿というのは、はっきり言って、全く違った風景や状態になっている、ということなのです。  つまり、この宇宙では、仮に、Aという認識を持って、自分や自分を取り巻く外部の環境を見た場合には、A’(エーダッシュ)という世界が認識されるが、そうではなく、仮に、Bという認識を持って、自分や自分を取り巻く外部の環境を見た場合には、B’という世界が認識される、というように、その人間や生命の認識によって、自分も、自分以外の外部を取り巻く環境も、本当は、コロコロ変わって見える、というか、コロコロ変わってしまう、というような、よく霊界物の書物に書かれているような存在論や世界観の方が、宇宙的には、ごくごく普通のスタンダードな存在論や世界観として、考えられていることが多い、ということなのです。

 これは、現在、私達地球人が体験しているような現実の認識、つまり、自分も、自分の周りの環境の状態も、常に、ほとんど一定であり、また、自分以外の周りの人々も、それと、ほとんど同じような認識を持っている、というような自分や世界の認識とは、かなりかけ離れた物の見方であるのですが、しかしながら、地球以外の外宇宙、特に「高次元宇宙」と呼ばれるような宇宙の領域においては、こうした大半の地球人が持っているような、非常に固定的、かつ、限定的な自分や世界の認識というのは、ほとんど、馬鹿か、キチガイのような扱いをされていて、そうではなく、先ほども述べたような、自分の認識主体の存在論や世界観の方こそが、外宇宙においては、ほとんどスタンダードと言ってもよいような、ごくごく普通の物の見方になっている、ということなのです。

 

高次元宇宙から見た宇宙の様子と、低次元宇宙から見た宇宙の様子とでは、全く正反対の景色や状態に見えている

 少し理解が難しいと思うので、例をあげて、説明したいと思うのですが、例えば、地球から見ると、夜空の星々が煌(きら)めいている宇宙の世界というのは、本当に限りなく広い、広大な、真っ暗な世界に見えるのですが、それでは、そうした夜空の星々の一つから、この地球を見ると、一体、どのように見えるのか、というと(これは、あくまで、現在の地球人の認識からではなく、高次元宇宙の人々からの認識になるのですが)、限りなく広い、広大な、非常に明るい光の世界があって、その中に、本当に小さな黒い点粒のような、真っ黒の穴のようなものが見えるので、その中をのぞいてみると、なんと、中には、小さな光のつぶつぶのようなものが、たくさん見えるので、その中の一つに、一生懸命、目を凝らしてみると、小さな青い星が見えてきて、その中には、なんと、そこが、すべての世界だと信じて、暮らしている、小さな小人族のような人々が生活しているのが見える、というのが、実は、そうした外宇宙から見た、地球人の置かれた客観的な状況になっていた、ということなのです。  つまり、現在の私達地球人から見た宇宙の姿———広大で、真っ暗で、キラキラ光る星々が、いっぱいある、というような宇宙の風景と、それから、そうした外宇宙、というか、高次元宇宙から見た宇宙の姿というのは、はっきり言って、ほとんど正反対と言ってもよいくらい、全く違ったもののように見えていた、ということなのです。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2010年11月21日 9:27 PM, 宇宙文明、古代文明 / 時間と空間の秘密



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