Light Symbol

国民みんなで、親も子供も地域の人達も最も楽しめるような経済的で合理的な教育システムにもう一度、ゼロから手作りで作り直す Part 2

 前回に続き、今回も教育の話になります。

 

②別にしっかりした教育目標さえ達成できるなら、良い授業のビデオとか、ゲームとか、スポーツ教室とか、現代の日本だと、それを実現するための簡単でお金のかからない楽しい手段は山ほどある

 第二には、これは、そうしたみんなの合意の下に決められた教育目標がすでにあるというような前提での話になるのですが、実は、現代の日本だと一度そうやってある程度、明確な教育目標さえ決めることができれば、後は、はっきり言って、いくらでもそうした教育目標を達成するための手段なんて本当に山ほどあるというくらい、現代の時代は非常に恵まれた時代になっているということなのです。

 簡単な例としては、そこに一つの教科書があるとすると、昔はそうした教科書をマスターするには、誰か先生の話を聞くというのが一番良い方法だったのかもしれないのですが、これが現代の時代だと、「へたくそな授業しかできない先生よりかは、誰か一番授業のうまい先生の話のビデオさえあれば、それを好きな時間に好きな所だけ聞けるようにしてくれれば、その方がよっぽどいい」とか、「かなや漢字の書き取りや計算の習熟ぐらいなら、別に先生がいなくても親や塾の先生が個別指導してもいいし、ゲームやコンピューターのソフトでマスターしても別に全然構わない」とか、「英語の習得だけが目標なら、別に学校で習わなくても十代の間、週3回も、ただで英会話教室に通わせてくれれば、それで誰でもペラペラになるんじゃない」とか、それから「もう何か自分のやりたいことのある子供や才能のある子供にはある程度お金を支給して、そのままスポーツ教室やダンス教室に行かせてもいいし、コンピューター・ソフトの教室でも絵の教室でも、ある一定の金額以内までなら好きなだけ行けるようにしてもいい」などというように、実は現代の日本だとある程度、はっきりした教育目標さえあれば、ほんのちょっと融通を効かせたり、お金を使えるようにしてあげるだけで、現在以上に素晴らしい教育なんて意外と結構、簡単にできてしまうものなのです。

 

③何も多くの人々が勉強嫌い、スポーツ嫌いになるまで、嫌な勉強やスポーツを強制する必要は全くないのではないか

 第三には、これも多くの人々の本音ベースでの意見の交流があって後、はっきりと多くの人々が自覚するような内容なのではないかと私は思うのですが、もし学校の勉強の内容がそんなに重要なら、何もそうした科目や分野が本当に大嫌いになるような人が出るまで、嫌なことを強制しなくてもよいのではないかということです。

 身近な例をあげると、科学は大嫌いでも魔法は大好きなんて子供は世の中にはいくらでもいますし、またスポーツは大嫌いでもゲームなら何時間でもできるなんて子供も世の中にはいくらでもいますが、これはそうした分野のことを詳しく調べた人なら誰でも知っているような話になるのですが、現在の科学の元は、西洋の錬金術、つまり古代や中世の魔術が元になっていることは周知の事実ですし、また現在のスポーツの起源は古代のオリンピックじゃなくて、たいてい、ヨーロッパなどの暇を持て余した貴族が考えた訳の分からないゲームが元になっていたりすることが多いなどというように、意外と多くの人達が難しい学問や体育として敬遠するような内容というのは、何のことはない、現代人の感覚で言うと単なるオカルトが元になっていたり、あるいは暇を持て余した遊び人の娯楽であったりすることが、実際には非常に多かったということなのです。

 ですから、もしそうした教育の目標が、子供達がその後の人生の中で末永くそうした分野に興味や関心をもって生きてゆけるようにするということであるならば、何も難しい説教責めや試験責めにしなくても、簡単で楽しい体験や実験を中心にそうした分野への知識や関心を深めさせてもいいし、さらには最近流行のテレビ番組のように、ほとんどバラエティーのようなノリでそうした分野のとっかかりを教えても、私は全く構わないのではないかというように率直に感じております。

 それから、これはスポーツに関しても全く同じで、何もこれだけいろいろなスポーツを誰でも自由にできるような時代に、誰でも彼でもその人の得意や好き嫌いに全く関わりなく、いろいろな体育の内容を次から次へと機械的にやらせては試験するようなことばかりをしていると、ほとんどの人は、結局そのスポーツの本当の良さが分からずに、単に嫌悪感や苦手意識ばかりを強く持つような結果になるだけなので、私は、基本的にスポーツに関しては、その子供が興味を持ったスポーツをいくらでも好きな期間、好きな教室に行ったり、好きな先生についてやり続けてよいというようなスタイルに変えて、その人が生涯、体を動かすことはとても楽しいとか、そのスポーツに関しては、いろいろな人と一緒に末永く楽しむことができるというような生涯学習的なスタイルに変えてゆくのが、本当はスジなのではないかというように感じております。

 

 続く・・・

 

Cecye(セスィエ)

2010年10月6日 9:26 PM, おすすめ記事 / 教育



«

»

おすすめ記事

過去の記事